6月25日
朝になってしまったけどとりあえず書く。
金曜日、ファトマの知り合いで、占星術家で石の専門販売もしてるチーデムさんと朝会う。私も彼女からブレスレットを買った。彼女にとってファトマは太客。
チーデムさんが自分の先生を紹介。
先生はムラトと名乗る明らかに能力者の感じだった。家に帰ってからファトマと「宇宙人みたいだったね」と話したが本当にそんな感じ。異形感さえあった。
ファトマの身体をスキャンニングしたり、昨今のスピリチュアル用語の流行に対して批判的な立場をあらわにしたり、
私については「黄色い光がずっと流れている」とか「日本人と言われなければコンヤから来たと言われても分からない」とか言っていた。
面白かったけど怖かった。ファトマも同じで、イスラームの外に出そうとしているようで怖かったらしい。
「毎日散歩の時、同じところへ砂糖を残すように。蟻たちの祈りは強固である、彼らは恩を忘れない。彼らに助けを借りて神に祈るといい」というようなことを言っていたのは面白かった。
私は1時間くらいしか一緒に居れず、ファトマは録音もしてたけどすぐ消していたので、私が去った後の会話の内容は分からない。
ただ、「これからは何か会ったとしても誰ともシェアするな(喋りすぎるな)」と念押しされたらしく、ただルームメイトである私とはシェアするべきと勧められたらしい。
う〜ん。
翌日の朝にファトマとも話したけど、不思議な力があるからって初対面の人に何言われても信じようがないし、そもそもイスラームそのものはシンプルで神はそれだけで完結したものだから、他の誰かに必ずしも頼る必要はないよねと。
私は誰かに追従する気はないし、追従させる仕組みには反対。小さいカルトを無限に作ることは人間という共同体を分断させる働きに見える。
それぞれの正しさができてしまったら、神の正しさは証明できないのではと思ってしまう。何が正しいかは人間にとってではなく、神にとっての問いなのに。
ファトマがスピリチュアルブームの犠牲者となって、ロマのごとくあらゆるヒーラーのもとを転々として人生混迷していくのはなんか無惨。
それに明らかにノイローゼになってると思う。
次々に石を買っている。石が「女性的エネルギー」とか諸々の足りないエネルギーを引き出すのだとか。
私にもそれが必要らしい。男性性と女性性のバランス。
自己実現は自己限定だし、自己否定だなと思う。
肉体の欲望は制限だし、自分の思ってる自画像というのも抑圧的なものだと思う。
なんでもいいのになあ。
感じたことが全てだよなあ(深夜高速)
その能力者たちの会合を後にしてから私は協会の友人とその姪っ子とベイコズに行った。海峡ツアーというやつ。
楽しかった。自然が美しかったし、友人の話も面白かった。
秘密は誰にも言うべきではないという教訓(無限に尽きることのないおばあさんの鍋料理の話)とか、聖者フズルの話だとか、イスタンブル各地の神秘的なエピソードとか。
ベイコズのアイス屋さんも良かった。
友人は40歳を超えてる(そうは見えない)が、今は第二の人生的にスーフィズムを勉強して博士課程やっていて、もうすぐ博論も終わらせなきゃというところまで来てるらしい。みんな本当にすごい。
私も頑張らなくてはなあ。
土曜日は目覚めてからファトマと話してバイラムの予定を立てた。
一緒にカスタモヌに行こうと話した。そういうのが結局一番薬になったりするよね。
嬉しそうでホッとした。
夕方からオルチュンとベシクタシへ。
ヴィーガンのラフマージュン、ジャジュック。
ベシクタシからカラキョイへ、最近仲良くなったテイくんと合流。
自分は気持ち悪いという観念が帰り道に増す。
トルコで過ごせる時間が短くなってきた。
なんか寂しい。でもそろそろお寿司食べたい。
私はなに人にもなりたくないし、何にもなりたくないな。
誰かにわかってもらえる自分も決めつけに思えるし、自分を小さくする働きには争っていきたいなあって思ってしまう。
魂のうちにある精髄に近くなって、ミクロコスモスのような存在体になりたい。
過剰な愛も毒だし、家族も友人も恋人も全ての間に風が吹き抜けるように距離が必要だな。愛は主観と客観を分けるものでもあるし。
種としては分けないで個人としては別ける、みたいなことが必要だ。