10月13日
読書会を再開。
なんとなく久しぶりだなーと感じる面々に新鮮味。
それと共にくる、わたし大丈夫か?という焦燥感。
研究者としてやっていけるんだろうか?
引き戻される。(現実現実現実!)
この前面接を受けた奨学金は見事に落ちた。
読書会の最中にお祈りメールが来て判明した。
結構な打撃。
落ちた、という事実が否定的に響いてきて、「わたし大丈夫か?」モードに拍車がかかる。
研究者アレルギーもひどくなりそう。
しかし、来年には落ちたことを感謝しているような気もしている。
日本でやらなきゃいけないこと、やりたいことがあるし。
引っ越しもするし、実はちょうどよかったりするのかもしれないよね、となだめる。
わたしが研究を通してやりたいことってなんだろう。
自分が大学にいる訳は、研究が目的のすべてじゃないと何となく思う。
基本的に虚無感が先行するため、研究に通常必要な行程をあんまり重視できなかったりする。
だからあまり、多数派の研究者たちとはうまく話せないし、見下されたり、不審がられたり、とにかく避けられてしまう。
海外に行くとそんなこと全然起きないのだけどね。数の問題だろうなあと思う。
わたしは、学問の王道と人から突きつけられるものが、恐ろしくて逃げたくなる。
人文系の学問はそもそも、楽しい遊びと虚無が背中合わせになってできているような感覚で、とても危ない領域と感じる。
王道を歩めば100%死にたくなるとわたしは感じてしまっている。
それにしても、相手に不審がられてるとき、わたしもすごく恐くなってることは全く伝わらない。今回の面接官本当にひどかった。
わたしだけがおかしいみたい。
でも、それは全然悲しいことじゃないけどね。
齟齬があるのはいいこと。
わたしはあなたとは違う道。同調しない。
交わらない。並行線。決別。
原点にある自由に回帰しよう。
わたしには、わたしだけのバランスの取り方があるから。
楽しいことをしよう。
だって、人生をかけた真剣な遊びなんだから。