万年輪廻

記録、日記

6月20日

昨日30歳になった。

 

色んな人の寛大な優しい視線を四方に感じながら、そして様々な縁を恵んでくれる神に感謝しながらイスタンブルでゆるりと毎日を生きている。


20代の後半があまりにもボロボロで、あと人生の前半がトラウマだらけなこともあって過去を思い出しては、笑いながら目の奥で泣いてる日々が最近続いていた。

そういうのを察して、ルームメイトを含む友人らが「もう過去は過ぎ去ったし、存在しないのだから」とそれぞれ助言してくれたのはすごく心の支えになった。

 

このコロナ禍という人類全体の危機に瀕して、私は自分の過去を整理する時間を授けられたのだと思う。

2020年3月に投稿論文を書こうとしていたら突然フラッシュバックがきた。それからコロナの波及と呼応するようにはっきりとした病気の症状が出てきて、どんどん転落していった。

経済的な不安定は精神を蝕むし、精神へのダメージは肉体にも響くことがよくわかった。心は体と繋がっている。お金がなくなってくると転落ぶりは顕著になった。安定した仕事があるって大事なのかもね。

信頼に値するかという価値基準が自分の中で大きなバロメーターになっていることもわかった。信頼できない何かしらの要素があるとその人とはどんな形であれうまくいかない。怖くなってしまう。実際はその人の問題でないことも多い。私の問題。

虐待された子供はみんなそうだと思うが、信頼できる人間かどうかという目が肥える。警戒心のかたまりに凝視され、分析される側は気味が悪いはずだが仕方ない。

 

虐待されていたとか自分の経験を明白な被害であると認めることも大変だったが、自分の中ではそういう風に考えないと前に進めない気がしたのでそう結論づけることにした。

結局私も毒親の子供だったという話だ。

本気で死のうと思った期間の後、生きてるだけでいいって言ってくれた人が何人かいたけど、私も私に対してそう言ってあげたい。

 

暗闇に向かって走り出した時の気持ちをまだ感じることができる。

ここから逃げなきゃいけないと思って、裸足で家を飛び出したことがあった。追いかけてきたのは私のことを「いらない」と言ってた義理の父だった。母親が追いかけてくれることはなかった。

いつも私が怒ったり泣いたりすると問いつめられ、何が嫌なのか理由を求められ、物を投げられ、怒鳴られ、ぶん殴られ、物を勝手に捨てられた。自分の感情の引き換えに何をされるかわからない環境だった。

ある時、喧嘩の後、自室でカッターの刃を見つめているところを見つかって、母親に「死にたいのかそれならそこから飛び降りて死んでみろ」と怒鳴られて、めちゃくちゃに殴られた。

その時はっきりと解離が起きたことを2020年3月のフラッシュバックで完全に思い出したのだった。カッターを握っている自分は存在しているとも言えるし、存在していないとも言える状態だった。

カッターには自殺の意図はなかった。ただ、それを見ていたら自分は抜け殻だと思えて、その不思議な感覚のなかで放心して、ここにはいない自分・パラレルワールドにいる自分を感じていた。

そして、7歳の時の記憶も同時に蘇った。部屋で息を殺しながら、親の喧嘩に耳をたてて「自分がいなければ」と祈るように念じ続けている自分の姿を見た。

二人の喧嘩は私の存在がいつも争点になった。

私がいるからみんな不幸なんだと7歳の時に決まった。それから自分の存在に対して「いない」と思う癖がついた。

義理の父はいつも食事のたびに私の食べ方が汚いと怒って、母親はそれに気が付かないふりをして、ひどくなるまで放置した。

私はずっと正座して、消されて真っ黒になったテレビを見つめながら、震えるような右手でお箸を握って、お茶碗をそっと添えるように左手で支えて、ご飯を食べていたが味はしなかった。何が美味しくてまずいのかも分からない。

テレビの音がない部屋では私の咀嚼音が嫌に響くような気がして怖かった。いつも怖かった。何か失敗をするたびに小言を言われて、家の中の不穏さは全て私のせいにされた。私が母親の連れ子だからという事実が彼にとっては大問題で、いつまでもそのことにこだわった。私には「お父さん」と呼ぶように強制してきたけど。

弟が生まれて1年後には彼とは話さなくなった。「いらない」と言っていたのを聞いてしまったから。話さなくなったのはあの子のせいだと母親に言い続けていた。

彼にとって私には名前がなかった。名前で呼ばれたことはこれまで一度もない。

そういう人でも生きてていいんだから現世って意外と楽勝だなと思う。意味がないとか、悪だとか、無駄だとかそんなこと現世じゃノーマルじゃないか、何を悩んでいたんだか。誰にでも存在の権利があるなんてこの世界は不平等だと思ってしまう。

 

26歳の時に母親が私の言葉で過呼吸になっているのを見て、これまでの全てに限界がきて、絶交を告げて逃げるように実家から去った。泣きたいのはいつもこっちなのに、親の前では涙の一滴も流れなかった。

その時も裸足で逃げた時のことを思い出していた。大人になったら誰も追いかけてこないのだと知ってほっとした。靴も履いていたし、普通に電車に乗って、京都の自宅に帰れる自分が少し誇らしかった。その家には彼氏もいて、その時京都に友達も住んでいて、絶交したというと彼女がすぐ迎えに来てくれたと記憶している。

放心状態だったけど、彼女の前では泣いたような記憶もある。

そのあと、高橋源一郎さんがインタビューか何かに、20代に親と絶交したということを告白していて、それをみて私も30歳になるまでは一切の連絡を断つと決心した。

30になる前に精神的に破綻して、それでも何も言わずに死のうとしてる自分に対して助け舟を出してくれる人が現れた。

それでやっと母親に面と向かってこれまでの自分の目から見た家族の話をぶつけられた。フラッシュバックして以降、思い出した過去のトラウマから、解離を繰り返して精神科に通うようになるまでの話をした。それが29歳になる前の2月くらい。

もう怒っても泣いても殴られたりしないけど、ただめそめそして狼狽する惨めな50代の女の人が目の前に座っているのを見たら何かを言う気を削がれた。

言いたくても言わせてもらえない。

逃げたくても逃げられない。

大人なのに親の目から見ればずっと子供の自分がいる。

私は誰なのか、誰にされてるのかも分からなくなる。

彼氏や友人たちの目から見た私は親と離れてから10年の間に作り上げた自分?

親の目から見た私は18歳までの自分?

親と会うたびに私の自画像が崩壊していった。言葉で伝えようとするけど、自分の中の真実であり、核心である部分は何も伝わってないとしか思えなかった。

憎んでも憎みきれないかわいそうなおばさんがいつも悲しそうに泣くので、苦しめれば苦しめるだけその人の寿命を縮めてしまうようで、私も全ては説明できなかった。

言葉が達者だとか、器用だとか言われてきた私の能力はこの日のためにあったはずなのに、と内心思いながら、母親にぶつける言葉はずっとつっかえ続けた。何か言うたび吐きそうだった。嗚咽に近い勢いで言葉が出てきて、自分でも混乱した。

ずっと前から、私の誉められるところは私にとっては全て嘘で、称賛の言葉は呪詛みたいに聞こえていた。誉められるたびに、言いたいことは何も伝えられなくなるジンクスがはたらいてるように思えた。

影を見ないで光だけを見てくれる人たちに、そのままでいてほしいっていつも願っている。私を照らしてくれるのはあなただと思う。私それ自体には何もない。虚構ばっかのドロドロの自分のいいところだけを見てくれる人を私は大事にしなければいけない。そんなふうに決まってしまっているのだと思う。

そういう人たちがいなければ生きていけないから。誰にでも受け入れてもらえる自分だけが存在してるわけじゃないから。

もし私の暗くて醜い部分を見てしまったら、みんな黄泉の国で振り返ったイザナギみたいになるんだろう。逃げて、逃げ切って、妻と絶縁するイザナギ。黄泉の国に取り残される醜いイザナミ。あまりにもかわいそうだ。美しいままだったら話は変わってただろうに。

そういえばイザナミ綾波レイにも似ている。レイもシンジにとって母親のクローンという近親相姦を彷彿とさせるグロテスクさを持っているキャラクターだった。レイは救われたのかな。救われていてほしい。あわれだ。

 

親と会うようになってからは、激しい頭痛や原因不明の湿疹、解離で身体が動かなくなったり、悪夢のあとフラッシュバックしてめちゃくちゃな行動を取ったり、どんどん身体的に、目にみえるような形で症状が出てきた。そうしてる間に29歳になった。

多分解毒の過渡期であった。フィナーレに向かってあらゆる症状が出た。

外に出た瞬間、悪寒が止まらなくてパニックになって「親が死ぬ」という妄想に囚われてその場で全身が震えてうずくまってしまうこともあった。その時もお坊さんが助けてくれた。

バスに乗るたびに軽いフラッシュバックが起きて何故か涙が出たり、電車で長時間移動するたびに胸が潰れそうになったりした。

誰か殺してくれと願う毎日がなんとかすぎて、トルコに行けることになってもう7ヶ月半過ぎた。

 

この日記も半年くらい休んでいたが、急に再開してみることにした。半分死んでいるような命でも、ここでの1日1日に価値があることは事あるごとに思い出す。

何か書かなければ、書き続けなければというのも今日電車の中で考えた。無様でも書くしかない。それ以外の自己表現の手段は私にはないのだから。書いても書いても多すぎるとは誰にも言われないだろうし。別にプロでもないのだし。売るわけでもなし。

でも書くときは書くのだから、私は真理の輪郭を、そんなものなくてもなぞるしかない。なぞり続けて、真理が目にみえるように喩えていかなければいけない。網目を細かくしていくために命を削らなければいけない。そうじゃなきゃなんで言葉の意味があるのか、それもわからなくなったら自分は誰かという疑問の中にますます自分は埋没して消滅するような、そんな恐れすらある。

 

書くことで書くことが成立するうちは書きたい。

思い出せば辛いことばかりだけど、別にそれは減るものじゃない。書いても消えない。でも増えもしない。

30歳になっても私はずっとイザナミのままかもしれないけど、私は醜いまま世界との関わり方を考えていきたい。自分はこれでしかないから。そして他人も他人のままであるから。