10月7日
帰る日。
楽しい予定がありすぎてなかなか帰れなかった。
東京駅の近くのルノワールで友達と合流。
5時間くらい大事な話だけをした。
わたしが感じた変化を、変化として受け取ってもらえたのでよかった。
毎回思うけど、気兼ねなく話せるので助かる。
答えが出ている問題に関して、今なお色んな方向から問いを投げつけているわたしを、見守ってくれる人たちよ。
答えは出てるのに。
申し訳ないけどありがたい。
わたしの周りに広がっている人間の温かさを触れずとも感じている。
もう大人なので強くあろうと思っていたが無理だった。
実際は大人になっても弱くなるだけだった。
唯一の強さといえば、お金だけだ。
お金を稼いでいるという一点だけ。
それも来年消えるが。
新幹線で移動しているとより一層自分の弱さを実感してくる。
自分の足で走れない、どこへも行けない。
ただ高速で走る乗り物に包まれて移動するだけ。胎児みたいに。
地元と言える場所にも居場所はないし、家族親戚とは疎遠になってるし、自分の家もない。
懐かしい風景はあるけど、愛しさはない。
みんなが持ってる信仰とは違う信仰で、わたしはみんなのことを祈る。
窓の外の風景もすべて他人事で、自分のうちにあるものとは異質の何か。遠い存在。
こんなにも、つながりのない世界で、二本足で立っている。立たされている。
不安が一気に押し寄せてくる。
たぶん大人だから、このことが分かる。そして弱い自己を知る。
定義や分類、立場をあきらかにすることに慣れた人類が、原点にかえれと告げられる時の不安さ。
無分節、分断のないブヨブヨとした世界に還るひとりの人間のつかう「わたし」という響きの無力さ。
何もなさ。
何もないところに波立つ、主語と述語の組み合わせのかすかな響き。
弱くて小さくてはかない。
それでも訳の分からないものに立ち向かう時が来ているとわたしは感じている。
人間の魂にある本源的な温かさにたどり着くために、考えること、旅すること、戦うこと、向き合うこと。
色んな形で努力すること。
生きることは無力な営みではない。
関係性がなくても、人は人を好きになれるし、何の理由もなく他人を求めることがある。
どんなに悲しくても、孤独でも、愛を感じることができる。
希望を持っていこうと思う。
ただでさえ、何もないのだから。