12月13日
引越しの残りをやる日
6時半起床のち京都に速攻向かう。
朝焼け。きれい。
毎朝眠れなくてきりきりしてる間にも、と思うとなんだか脱力しそうだった。
電車の中で19世紀のスーフィーの生涯について書かれた論文を少し、それから絲山秋子『沖で待つ』の残りを全部読んだ。
面白かった。
年齢を見たら母親と同じ年頃で、もっと若いと思ってたが違った。
年齢を重ねたからこその皮肉だなあと思った。
何重にも蓄積された、良質なユーモア。
京都の街中で車に拾ってもらって、大学と前住んでた家から荷物を運び入れて、神戸へ。
ニトリで必要なものを買ってから家に。
色んなことを同時に考えて、手も動かして、何回も部屋と車を往復した。
でも、もっと大変だったのは運転して、荷物も運んでくれた彼だったはずで、「前よりしんどかった」とくたびれてて申し訳なかった。
彼は別れようという話をしてからも、ずっと優しくしてくれる。
わたしは色んな理由つけて自分を正当化しながら甘えてる。
今日も、彼と色んな話をした。
魂の色、濃度の話。
人の感受性の波の話。
全部思いつきで話したのによく聞いてくれた。
すぐ忘れてもいいから、と言うのを忘れていた。
全部終わってから中華を食べに行った。
美味しかったけど、ほんとに疲れてたからか、眠くて眠くてどうしようもなかった。
しかし、とにかく今日作業は終わった。
わたしはもう、引っ越したって言える。
本当は晴れやかな門出なはず。
毎日死にたくてたまらないことだけを除けば、新しい生活はいいもの。
色んな人に感謝が尽きない。
死にたいと本気でおもってるからこそ、今わたしは生かされてると本気でおもってる。
火曜日からたぶん薬の数が増える。
生かされてる。
もっと生きれるようにしたい。
朝