12月5日
noteを更新した。
次のアイデアを書く。
・トルコのスーフィー、アメリカの旅〜心理学にもたらした影響からの現代トルコのスピ事情
・翻訳
・トルコ音楽、黒海の音楽について
・もっと日常的なこと、普段の生活について
・こちらでの俳句への関心
金曜日にエミネ先生と会い、博論を書けと気合いをいれてもらった。
エミネ先生はこの国でのふるまいに気をつけるようにとも促してくれた。母のように自分の名前を出してくれてもいいから、とにかく気楽になれ、と。
全てのことで通じ合えそうな人がわたしの先生でいてくれることが嬉しい。
そのあとはエイリュール先生のサイン会に。
いつもの本屋さんで集合。アフメド・ヒルミの小説2冊を購入。店員さんと芭蕉の話。
先生から何か面白いプロジェクトをしよう、と声をかけてもらう。サインをもらう時に、次はあなたの本を待っています、と言ってもらう。
とにかく焦ってきたぞ。
チェンゲルキョイ、改めて行ってみるとかなり楽しい街だった。小さなコーヒー屋さんが楽しかった。また行きたい。
サイン会に行く前にフェレキに電話で切れられて不安定になり、土日にも長引く。
土曜日に日本にいる友人ふたりと話す。
何も進捗がない日。
ただイカメットの申請を進めた。
今日、日曜日はよく眠れた。寝る前に邪視をといてもらい、よく寝れるように癒しを送ってもらったのだった。
ファトマは朝から授業で、終わったらすぐ外に出ていった。
ヒュセインの彼女と会うということだったが、みんながわたしの知らないところで計画進めてて今日のわたしの予定が狂った、と怒って帰ってきた。
仲良しグループに亀裂。
帰り道に急に倒れたおじさんの救護をしたとも言っていた。かなり疲れている様子だった。
トゥルガイがいたら、と思った。
ほぼ毎日家でトゥルガイの話をする。いつのまにか、彼女が前に好きだった(はず)で結局結ばれなかった相手からトゥルガイがツインソールみたいな扱いになっている。
魂の世界では夫婦らしい。
トゥルガイもよく電話してくる。
今日もしてきた。
こないだ木曜日にオルチュンとお寿司に行ったとき、ふたりのことを話したら、彼女たちは絶対結婚すると言っていた。
何%くらいの確率?と聞くと、99.99%などと言っていた。
とにかく絶対らしい。トラブゾン出身の女の子におあつらえ向き、と何とも憎たらしく言うオタク男性であることよ。
でもトゥルガイがいる方がファトマにとってはいいと思う、不在時にグループに亀裂が入ったことを思うとなおさら。
ひとつの秩序だったのかと気付かされる。
みんなに幸あれ。
わたしは安定した眠りがほしいよ。
11月26日
金曜日
イカメットのために出かけるぞと意気込んでいたのに、ベッドから脱出できたのは12時くらいだった。
参加する予定だった研究会にも間に合うわけもなく。
ファトマがピザ(ドミノピザの「たっぷりチーズのパン」みたいな名称)とフライドチキン、バーガーキングのポテトと玉ねぎのフライを注文してくれた。
さらに、ファトマはパンケーキも焼いた。いつも授業の前にパンケーキ食べるとお腹すかない、という主張のもと。
この国ではパンを買うお金もない人がいるんだ、と思うと罪悪感がわいて、あんまりたくさん食べれなかった。
ファーストフードずっと食べたかったので嬉しかった。
実は昨日も食べたかった。が、ファトマが自分で注文するなとわたしの手を止めた。
彼女の忠言にしたがい、昨日の夜は誰もいない家でラフマージュンと骨つきチキンのグリルみたいなやつを食べた。
お金はファトマが払ってくれた。もらってばかり、、、、
お昼を食べたすぐあと、トゥルガイが家に来た。
彼が兵役に行く前に会えるとは予想してなかった。特に嫌な気持ちにはならなかった。
ファトマがすぐにカウンセリングの予定が入っていたから、トゥルガイと二人で席に着いた。
二人きりで話すのは初めてだった。
ファトマの得意技?、テタヒーリングの話をした。
お互い実は全く信じていないことを明かしあった。ファトマのことを心配してることも。
あなたが考えてるようにファトマに伝えてもいいと思うよ、と言われた。彼女は自分の気持ちとは反対のことでもちゃんと聞いて自分なりの意見を言うはず、と。
わたしはファトマのことは信じているから彼女のすることにわたしが言うことは何もないのだが、一般論としてスピリチュアルな現象には懐疑的なだけ、と答えた。
それから、デルヴィーシュたちの教育の話になった。
トゥルガイがシェイフのビデオを見せてくれた。それから彼のシェイフとの出会いについて教えてくれた。
かなりプライベートな、誰にでも話せる話ではないことは明らかだった。嬉しかった。
それから、イスタンブルで最近起こっているデモの話もした。トルコの国民が10人だとしたら、3人がデモに行き、5人がどの派閥にも入らず、1人がエリートのお金持ちか政治家、1人が全く何も知らない、と彼は説明した。
デルヴィーシュはどの派閥にも属さない、アッラーの派を選ぶと。
命懸けで警察に殴り込む人たちがこの国には何人もいる。
わたしは誰の味方?、そう聞かれたらどう答えたらいいのか。
トゥルガイとわたしのトルコ語名についての話をしてたらファトマが戻ってきた。
コーヒーを飲みながら、三人でテタヒーリングの話をした。
わたしの頭にあった問いをトゥルガイがファトマに全てぶつけた。
わたしは議論を聞くだけだったが、双方にそれなりに合理的な意見を見出した。
最後に、父親とご飯に行くからといって彼は去っていった。
ビットコインを気にしすぎてコインジ・ババと自称・他称するようになっていた。
兵役中に携帯でビットコインを見れるんだろうか?どんな日常が彼を待っているんだろうか?
あなたがいなくなったらイスタンブルが静かになるね、とわたしは言った。
少なからず寂しい気持ちになった。
がんばれ、と思いながら手を振った。
彼が去ってからファトマと話した。
トゥルガイはわたしから嫌われてると考えていたみたいだ。
ファトマは、別に彼女はあなたのこと嫌ってないよと説得したらしい。
あなたは彼のことよく知らなかったけど、今日でよく分かったでしょ、とファトマは言った。
確かにな。
みんな幸せになってほしい、という気持ちだけを守ることにする。
みんなのために祈る人間になる。
ファトマと話した後、またわたしは授業で彼女も夜遅くまで授業だった。
わたしは夜ご飯として、トゥルガイが全部食べれなかったポテトを食べた。
11月22日
今日はフェレキからの電話をずっと待っていたら1日が終わってしまったのだった。
日曜日に訪問者3名ありて、深夜というか朝まで眠れず。最後の1人が帰ったのが3時くらいで、そのあとファトマがひとりで食器を洗い始めてなんとなくいたたまれなかった。
夕方に先輩に電話をかけたら一気に寂しさが増し、誰かと猛烈にマッチングしたいという欲求が出てしまった、挙句寝る前に知らない人とチャットをした。
彼氏持ちには興味がないとのことで、まあそれはそれでよかったのだが、いろんな話をした。
良いようにしかならない。
寂しさが埋まる前に、良い人の自分が満たされてなんか微妙だった。
それで、朝は全部ねて、昼頃起きてからファトマと昨日残り物を食べた。
フェレキからの電話を待っていた。
彼女の引っ越しどうなったの、とファトマもわたしに2回くらい聞いてきた。
わからん、彼女から一言もなし、と答えた。
日曜日の夕方にやってくれと頼まれごとをされたが、それを早くやって欲しいとのことだったので、ご飯を食べてから早速取り掛かる。
4時頃おわる。
ボランティアにしては仕事量が多かった。
オルチュンから明日から雨らしいし今日会わないかと連絡が来たけど、ボランティアの作業が想像よりも大変だったので外に行く気になれず。
わたしはいつもev kuşu 家で飼われた鳥のようにどこにも行かないの。
ファトマは夕方に出て、いつもの男どもと飯、夜帰宅、すぐに授業。それから深夜まで。
わたしはダラダラ過ごしてしまった。
夜ご飯はまた昨日の残り物。
もう3食ずっと同じものを食べている。
ブログ的なものの更新しようと思ったが、完成したのは下書きのみ。
結局フェレキからは夜ご飯の後電話があった。無事に引っ越したとのこと。
そしてシェイマが明日イスタンブルに来ることもわかった。会いたい。
ファトマの怪しい授業が終わってから夜な夜な話した。
トゥルガイのこと。
彼がどれだけ素晴らしい人かはもう十分わかったけど、腑に落ちないところがあり、率直に伝えた。
でも、ファトマが、出会う人みんなあなたの先生、と言ったところでわたしも納得し始めていた。
というのは、ムーサーとヒドゥルの話を思い出したからだった。
ムーサーの目の前で人殺しすらしたヒドゥルがムーサーの成長を助けた。
そういうことだってあるんだから、わたしがトゥルガイを嫌っても仕方ないよね、と何となく思った。
会うのはもう必要最低限だけにしたいけど。
ファトマは、あなたはとても成熟した人間だから、と言った。私たちは同じようなレベルだから本当にこれほど分かり合えるし、わたしも落ち着いてなんでも話せる、とも。
わたしからしたらファトマはだいぶ自立した大人なのでそういうふうに感じてくれているのは嬉しかった。
姉でも妹でもなく、でもきょうだいという感覚。彼女がいることはわたしにとっても本当にありがたい。
もっと色んな話ができたらいいなと思った。
そのためにもっとトルコ語できるようにならなくてはね。
出発日のメモ書き
出発の朝、目覚めるというより覚醒に近かった。まだパッキングが終わってなかったので、残りをやる必要があった。
朝ご飯の目玉焼きとコーヒーがおいしかった。
お昼は京都駅の京蕎麦屋さん?で食べた。天ぷらおいしい。うす味。名残惜しい。
はるかで関空へ。道中Tは楽しそう。目が充血していた、眠そうだった。わたしは何となく外の暗闇を眺めていたら、もうこの先5ヶ月家に帰れないことに不安になっていた。
関空の国際便のフロアが薄暗くて、かつて見た深夜の北京空港を思わせた。人気の少なさとシャッター街と化したおみやげフロアが切なかった。明るくひときわ目立っていたマクドナルドで軽く食べた。しょっぱい。
空港に着いた時はもう眠かった。荷物が重くていやになる。まばらな外国人の旅行者たちを見ながらみんなどこに行くの、と100回くらい思った。
飛行機に乗るまでTとの別れが名残惜しくてさすがに寂しくなってしまった。マクドナルドでもナゲットを頼みすぎていた彼のことが少し心配になった。入国審査終える頃にはいよいよかあという感慨になった。母からも電話があった。早く帰って来た方がいいと念押しされる。あまり心配をかけないようにしよう。
飛行機が動き出すまで連絡を取って、動いてからは画面から離れてぼんやりした。優しく頭上の棚の開け方をコーチしてくれたCAさんがアリソンにそっくりで驚いてしまう。そのおかげで不安が和らいだ。飛行機が完全に離陸するまでシートベルトを身体に巻きつけたCAさんが長い足を堂々と組んでハイヒールの靴を脱いでころころと動かしているのを見て和んだ。機内はかなり空いていた。
上空に浮かぶとすぐに食事が出てきた。アリソンに似たCAさんが「焼きそば」を出してくれた。またしょっぱい。でも美味しかった。食べながら「インサイドアウト」を観た。喜びというキャラクターの目の光が無くなる時がこわかった。でも本当にすごくいい映画だったし、最後は泣けた。食べ終わるとお茶が配られた。機内で配られる「お茶」は毎回なんのお茶かほんとに分からない。
食事が落ち着いたら照明が暗くなって、天井に星が浮かんだ。みんなそうしていたのでわたしも完全に横になることにした。胃が床と並行になったけど、あんまり休める心地はしない。でもほんとにいつもよりは何倍もマシ。
夢の中でも飛行機に乗っていた。
飛行機は乱気流の中に入って二回転くらいした。恐怖で死にそうになった。感覚が地味にリアルだった。結局飛行機は街中に不時着した。そこからすぐに飛び立とうとしたけど電線に引っかかってなかなか浮上できず、それでも力づくで空に向かって進もうとしたら電線がわたしの膝の上までめり込んできて、わたしの完全に安全なシートベルトを断ち切った。なぜかわたしは無事だったが、最悪の気持ちだった。多分そこで目覚めた。まだ天井には星が浮かんでいた。インド上空にいて、残りは4時間ほどになっていた。
日記をかいてから、またうとうとしていたらいつの間にかみんな起き始めていて、朝ごはんが配られ始めた。
お粥にしてもらった。おいしかった。暗闇の中で目覚めた時になぜかもらったおつまみも食べた。柿ピー、嬉しい。
ドバイ空港は想像していたよりも質素な空港だった。でも売ってるものはキラキラの時計とかジュエリーみたいなものばかり。コスタでパンとコーヒーを買う。
ゲート前でくつろいでいたらハーイと話しかけられる。日本人だった。きよみさん。
席に着くまで少し会話する。広島から来たとのこと。「ヒッポ」で語学を身につけていることや、大学受験を控えた娘さんの話、トルコで待つドイツ人の彼氏の話、薬剤師やJICA、添乗員の経験の話。
機内はほぼ満員。関空からの便とは大違いでなんだか緊張する。サーモンのご飯が美味しい。トルコに着いたらもう食べれないのかな。
(ここでメモおわり)
不安だったのかのっけからあまりにも詳細なのに、途中でもういいやとなってしまった。
この密度で日記をかけたらいいのだが、そんなにまめな性格じゃない上に、今週体調くずしたのがかなり響いた。
先週も色々あったのだが。。。
何一つかけてない。
まとめようと思ったらだめなので、その日のうちに書く方がよさそう。
ちなみに今日11/19は、もはや目覚めた時は朝ではなく昼であったので、起きてすぐにファトマの「パンケーキフェスティバル」にお呼ばれし、いろんなものを食べさせてもらった。
トゥルガイとの関係が彼女の機嫌をわりと左右してるようにやっぱり感じてしまうけど、幸せでいてくれるならよい。
ご飯をたべてからは音楽をきかしてもらう。
トルコの昔の音楽。
Tから電話。授業準備のち授業聴講。
夜はひとりだったのでブログなど各種の更新。
明日はベシクタシュに聖者参りの日〜。
もっとマメに、そして活動的に。。。
11月11日
本当に悲しい!と思っているとき、何か問題があって心が荒んであれこれと頭で考えては苦しんでる時、そういう時はたぶん真っ暗なところに立ってて、自分の姿も何も見えなくなっているのかもしれない。
今日、わたしは深く話すことはなかったけど、悲しいという気持ちをここ最近感じていたとアムジャに伝えた。
アムジャはこないで電話で、心がむなしくなった時いつでも連絡してきてね、と言ってくれた。
アムジャの答えは自分が誰だったかを気づかせてくれるような言葉で、わたしは暗闇の中にパッと灯りがついたかのようにかんじた。
わたしが誰だったのか。
誰がわたしをつくったのか。
一瞬照らされて、その一目で思い出した。
進むべき道も、その道がどういう道かも照らしてくれた。
何も見えてないから落ち着かない、不安になる。
それに、問題が、全てを動かしているひとつの力から離れて歩いているかのように見える。
でもそうじゃないようだ。
トルコ、2021年11月8日
トルコに来て1週間過ぎた。
この1週間でいろんなことがあった。すでに疲れた。でもまだまだやるべきことがある、とこれまでにないほどエンジンはかかっている。
10月31日
到着
着いてすぐにオルチュンとバスで再会する。
空港から中心街に向かうバスから見える風景は殺風景で、なんだか懐かしかった。
ビルにかかっているいくつものトルコの国旗が、ここはトルコと主張してくるようだった。
オルチュンはレヴェントでバスを降りて、ベシクタシュでファトマと会った。
何もかもが素晴らしいと思った。海が黄色い夕日に照らされていた。海のむこうにモスクが見えた。
ファトマと家に行く前にアーヘンキでお茶。
懐かしい。
家に帰ってすぐ外に出て、ファトマの友達トゥルガイと3人でご飯をたべてお茶。
トゥルガイもジェッラーヒーの人らしい。
何も事前に知らされてなかったので2人は恋人かと思ったけど、後で聞いたら違うらしい。
(わたしの存在がふたりの距離感を少し変えてしまった可能性はある)
トゥルガイの話は少しつまらなかったが、この友人同士の掛け合いを見てる間、トルコに来たという実感がものすごくわいてきた。
そして、ファトマがテタthetaヒーリングというものを駆使してセラピストとして本当に成功しているのを知った。
すごいルームメイトだ。
11月1日
ファトマが作ってくれた朝ご飯がすごく美味しかった。
夕方にお風呂。
そのあとフェレキが家に来てくれた。
Yermde duramadım bütün gün akşam olsun istedim.
かわいい...
新しく仕事を始めたこと、家を探していること、ルームメイトとうまくいってないことなど。
夜にトゥルガイとヒュセインが加わる。
夫婦別姓のことなどで若干雰囲気が悪くなる。
トゥルガイになぜ怒ってるの?と言われる。
男女平等が成立してない現世では、何か文句を言うとフェミニストと言われて問題を矮小化される。理不尽だ。
みんなが帰ってからファトマと話す。少し落ち着いてから寝る。
11月2日
ペルシア語の授業、そのあと大学に行く。
先生たちと少し話すもあまり時間がなかった。
夕方にTuran Koç先生の授業。
芸術論。
俳句についてTuran先生と授業前に話せたのがうれしかった。
わたしがこちらの詩について語り、できるかぎり正確な翻訳をするには、まだまだ学ぶことがあるとのこと。激励される。
芸術作品の背景には神秘体験がある、ということ。その瞬間をとらえられるか?
授業が終わったあと、日本人の留学生せいこさんとも知り合い、イマジョと3人でウスキュダルでクンピルを食べた。
そのあとアーヘンキでお茶。
またトゥルガイとヒュセインもきた。
そろそろ無理になってきたとイマジョにも伝える。トルコの男、わたしの神経にさわる。
11月3日
先生に誘われたのでイマジョと一緒にマルマラ大学のシンポジウムへ行く。
ギョズテペのキャンパス、まるでオスマーニエと錯覚を起こした。この点で完全にイマジョと通じ合う。
サロンには会いたくなかった人がいて、少しパニックになってしまった。予想はしていたけど。そのあとなんとか考えないようにがんばった。
話は一般的な、百科事典的知識しか聞けなかった。先生も気に入らない、と少し怒っていた。
ユヌス・エムレ、メヴラーナはヒューマニスト。それが何?と先生は言っていた。
午後にはアフメト・ヤシャル・オジャクが登壇予定だったが、結局来なかった。
なのでイマジョとカドゥキョイにでも行こう、となった。道中ソフラでの経験を聞く。
カドゥキョイでソーダの種類がすごい店に行ってサラダとソーダを注文。
写真の話などをする。
そのあと、山登り好きな人が行く店などへ。
夕方フェレキと合流。
わたしの服選び、それからベイランチョルバスの店へ。
食べながら、いきりっきの話。みんな涙が出るほど笑う。幸せな時間。
帰りはバス。荷物が重くて大変だった。
11月4日
ペルシア語のあとまた大学へ。
授業終わった後、1時間ファトマとコーヒー。彼女の家族の話。
おばあさんの話、絶対形にして残した方がいいと思った。
先生と面談。3時間くらい。
研究相談や今後の予定などを話す。
先生から歴史をちゃんと勉強した方がいいと強く念押しされる。
わたしのやりたいことはよく分かるが、他の先生ときちんと話した方がいいということも。
わたしのテーマや視点にかんしては先生からの反応もよくて安心した。でもこれからやらなければいけないことは死ぬほどある。
先生と別れるころには外が真っ暗になっていた。
そのままバスで降りて、ファトマたちと合流。メリヒと再会。相変わらずだった。
家にすぐ帰りたかったけど、メリヒとも久しぶりにあったし、メリヒのやさしい気持ちも無視できなかったので一緒にお茶することにした。
でもやっぱりトゥルガイが無理だった。
本当にずっと不快だった。明らかに態度が悪くなってしまい、ファトマの気分を害してしまったかもと後で申し訳なくなった。
2人が恋人になってくれたらなんでも許せる、と思った。でもトゥルガイの女性に対する態度が本当に気に入らなくて、不愉快だった。
帰り道、トゥルガイが気に障ったの、とファトマに聞かれたが、その場では、ちがうよと答えた。
でも家に帰ってから全てを正直に話した。
シンポジウムで見てしまった人の話もした。これまでのこと全部。
それからトゥルガイの話をした。これからは2人を会わせないようにするとファトマは言ってくれた。
あなたはわたしにとって今一番大切な友達だから、とファトマは言った。なんでも正直に話すべきだとわたしも思った。
安心して眠れた。
11月5日
先生がアポイントメントを取ってくれたので、IRCICCAへ行く。イェクターと会う。
素晴らしい施設。
食堂でほうれん草をゆでたものの上に目玉焼きがのっけてある料理を初めて食べた。
イェクターは16世紀末期のウラマーとスーフィーの関係みたいなテーマで博論を準備しているとのこと。本当に彼女の勤勉さと計り知れない能力に心から尊敬する。本当にすごい人だ。
食べ終わってからツアーをしてくれた。
図書館の使い方やどんな資料があるかなど、丁寧に教えてくれた。カリグラフィーのコレクションがすごかった。
彼女のオフィスで少し話してから、14時半くらいに出た。また来ようと決めた。
そのあとMVTに行った。
ヴェジヒさんとおしゃべり。政治と宗教の話。
この人だけはなにを話しても絶対に安全だなと毎回思う。本をまた注文しようと決めた。
帰りにスルタンアフメットとギュルハーネの公園に寄る。エミネさんとの思い出を思い出していた。美しい国。とうもろこし食べたかった。
エミノニュで買い物してから帰る。
ウスキュダル行きの船、欠航。マルマライへ。
激混み。さすがにしんどいと思う。
帰宅後、ファトマは夜トゥルガイとでかけた。
昼間はヒュセインと会ってトゥルガイについて話したらしい。
どうなるんだろう。見守るしかない、と思う。