11月4日
家でひとりで飲むってこれまで全くしなかったのに、その必要性を感じて夜中にやってしまうようになった自分がいる。
起きたら頭が痛かった。
「恋煩い」を「受難」と友人は表現していたことを思い出して、ウグッとなる。
お昼くらいから大学へ行き、最近留学から帰ってきたという、違う学部の同期と会う。
すごく久しぶりだった。
仲良くなりたいとずっと思ってたのになかなか距離が詰められないまま、向こうがイギリスへ留学に行ってしまってたのだった。
同じ博士課程女子で、同い年で、似たような状況にあるというのもあって、話はすごく弾んだ。
自分と全くタイプが違う彼女にすごく憧れてる自分もいたし、彼女ともっと色んなことを話したいと思う自分もいた。
土曜日から長崎に行くことを伝えたら、自然とキリシタンたちの話になった。
彼女も気になっているという。
色んな研究を教えてもらう。
わたしは三木パウロさんの遺骨の話を彼女に聞いてもらった。
別れる間際に、一緒に映画を見に行ったり、どこかに出かけたりしたいということを伝えた。
ちょっと勇気がいったけど、彼女も同意してくれた。
「もっと連絡してよ」って最後言ったら、「お互いにね」と言ってくれた。
嬉しかった。
心がふわっと温かくなった。
大学から家に帰る前に少し食べて、歩きながら東京にいる友達に電話をかけた。
いつもほんとに面白い。
しかし東京のベランダはうるさいのだなと思った。
寝る前に、いつもより遅い時間に彼からメッセージが来た。
眠いのにわたしの話を聞くためにメッセージしてくれてるのだなと思った。
「うん」がすごく眠そうに見えた。
でもメッセージくれるのはほんとに嬉しかった。
わたしのことを気にしてほしい。
聞きたいことはわたしもあるけど、怖くて聞けないことの方が多いような気がする。
会わないと何も話せないという感じもする。
いつ会えるんだろう。
Yaşarken anlayamadıkları değerleri, öldükten sonra anlamanın kimseye faydası yok. Sevdiğinizi dirileştirmenin yolu, hayatın tazeliğinde itiraf ve ifade etmektir.
Şems-i Tebrizi
シャムスの言葉。
「生きている間に分からなかった価値を死んでから理解したとしても誰の得にもならない。愛する気持ちを生き生きと輝かせるには、いのち朽ちる前に想いを打ち明け、表明するのみ。」
意訳含む!