11月17日
ちょっとサボりすぎたかもしれない。
書きたいことはあったけど、ありすぎると書けなくなるらしいです。
さながらタイムスリップ。もう11月も後半。
今朝はまたすごく印象的な夢を見た。
夢の中で見た夢の中で、わたしは唐突に、満開のひまわりの中にいた。
無機質な、ボイラー室みたいな密室にぎっしり咲いてるひまわり。
隣の部屋に移ると、図工室みたいな空間に、4人組になって机に向き合って座っている人たちがまたぎっしりいて。
ひとつの机に、ふたつずつ小さめの水槽が置かれていて、中には魚などはいなくて浮き草だけが浮いていた。
人々はその浮き草を真剣に見つめてるだけ。
観察しているのか、無心なのか。
座っている人たちはみんな若くて、その人たちを監視してる人たちはみんな高齢者だった。
わたしは知っている人の影を見つけて、その人の背後からついていく。
やがて、その人は大型の機械が設置された暗い部屋に通される。
追いかけようとしたら、門番のおじいさん二人に足止めされて入れなかった。
夢の中の夢はそれで終わり。
夢の中で目覚めたわたしはそれを誰かに報告していた。
わたしは夢の中で「死後の世界にいた」と説明していた。死んだと思ったみたい。
そして、わたしは本当の、現実の世界で目覚めた。
わたしよ、夢の中で寝るな。
長崎旅行は本当に楽しかった。
誘ってくれた友達とも濃密な良き時間を過ごせた。(それもよかった)
福江島ではバスと自転車を駆使して色んなところをめぐった。
2日間の滞在で、40キロくらい自転車こいだ。
もうおばさんなので、かなり遅れて筋肉痛がきた。
旅の余韻、と感じいっていたけど、精神的にも余韻が続いていて、なんとなくボーッとしてしまう。
昨日大学に行って、久しぶりに同期と話してやっと、自分が研究者目指してる大学院生だということを真に思い出した。
感じたことが全て!を大事にしてると、いつのまにか自分のことも忘れちゃうのかな。
たとえ肉体がなくてもわたしは何かを考えて、感じてしまってるような。
不思議な分離が起きて、いつのまにか28年という時間の連続性をもった自分がいなくなってた。
長崎という街は本当に不思議で、歩いていると「歴史」とか「地層」とか土に関係する観念をよく感じる。考えてしまう。
それが本当に自然なことのように起きるので驚く。
28年というわたしのミクロな時間の連続性は忘れてしまっても、土地に宿る壮大な時間の連続性の中に自分を位置付けられる、ような感覚。
死んでいったキリシタンたちがいて、原爆で死んでいった人たちがいて、わたしがいる、みたいな。
謎の感覚だった。
なんの縁があるのかと聞かれてもそれは決して分からないものだけど。
トルコを近くに感じるのも、そのような奇妙な連続性の中に自分を位置付けてしまえるからだと思える。
(わたしの属性にトルコ研究みたいなものが入れられてる現状はよくよく考えたら変だと昨日改めて思ったの...)
うーん。何を言ってるんだろう・・・
とりあえず今日も大学へ行く。
土曜日に髪を切る予約もした。
久しぶりにこのブログを開いてみたら、なんだか自分じゃない誰かが書いてくれた自分の日記みたいに思えた。
誰だお前は。
変化していく。
髪の毛はもう少し暗い色に染め直してもらうつもり。
大学院生として、人から信用されるような色に戻したくなったのだ。
もうそろそろ落ち着きたい。
多分色んなことがこれから整っていけば、わたしの肉体と精神の分離問題も解決するだろうと思っている。
くっついて離れないように。
調和するように。
福江島でみた最高の景色