2月2日
先週からまた京都にいる。
なんとなく落ち着かない日々で、昨日大学に行ったからか、今日はもう始めから無かったくらいの勢いで眠気があって外に出れなかった。
疲れが翌日までたまってしまう。
精神が安定してないことがみんなに伝わってから、みんながよく話を聞いてくれるようになったと思う。
みんながわたしの様子をうかがって、言葉を選んでる。
優しい世界になっていってる。
でもわたしはなんとなく周りに気を遣わせるクレイジーな女という自己認識によって、気疲れする。
気を遣うさじ加減、パワーのバランスはいつも、みんなにとって、難しい。
自分のことを見つめようとする時、人のこともよくわかるようで、結局疲れる。
人との境界を作ることも、自分の輪郭をはっきりさせることも今は難しいみたいで。
地球で生きるのにまだ慣れてないみたい。
お坊さんのセラピーを受けたり、新しい友達ができたり、先輩から励まされたり、いいこともたくさんあったのに、パニックに何回かなってしまった。
あと、土曜日に3年ぶりに母親と会って話した。
これからも会うようになるみたいだし、それでもいい気はしてるけど、どうなるか分からなくて少し恐ろしい。
クレイジーな人間という自分にむけられた視線がシールになって、身体にどんどん張り付いて、それらが剥がれなくなって、わたしはシールまみれで何も見えなくなりそうになる。
母親もわたしをそういう目で見ていた。
怒りとか悲しさとかじゃなかった。
昨日の夜、今年で死ぬかもしれないと本気で思った。
みんながどうとか、そのみんなが誰かとかわたしには分からないけど、みんなと違うわたしのひとりの、ひとつとしての命のゆらめきがどんどん激しくなってる。
生きたいのか、死にたいのか、分からない。
自分は何も分からなくなってしまっているのだと思う。
今も正直よく分からない。
自殺したい、死にたいというエネルギーよりも、殺される、死んでしまうという危機感を感じている。
身体が硬直する。
頑張れない時に頑張らないだけで、それが休むということになるなら、今は休んでいるということになる。
何もかもに定義が必要なような。
不思議な感覚。
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