3月11日
10年も経ったらしい。
翌日の3月12日は国立大学の後期二次試験だったけど、当然のように行かなかった。
某大学の外国語学科の試験を受けに行く予定だった。
受かる打算もなかったのでよかったけど、テレビに映るもの全てが気持ち悪くて、悲しくて、家で固まるしかできなかった。
東京に越すために、家を探す必要があったけど、予定を伸ばした。
入学までに家が見つかるかどうかとても不安だったけど、それ以上に東京の街中もめちゃくちゃなのではと心配だった。
結局家は人伝に紹介してもらったところに決まったけど、入学式は無くなって、4月は1ヶ月間休みになり、わたしはお弁当工場でベルトコンベアーにすべてを支配されるバイトをしながら地元にいた。
5月になってやっと東京で生活を始めた。
懐かしいという感情よりも、もう10年か、という事実だけが胸に迫ってくる。
迫ってきたところでわたしが何かを言える感じでもないといった状況が今。
今日だけでも、死んでしまった人たちのために、命のありがたみなどを感じていようと思ったけど、昼間また意識を失ったように眠ってしまったみたいで、午後がなくなったことにショックを受けた。
そして、死にたいと思ってしまった。
いつものごとくである。
昨日も夜、またあの例の激しい頭痛が襲ってきて、いつの間にか眠っていて、起きたら日付が変わる寸前まで時間が進んでいた。
ワープしたかと思った。
夢を見ていた。
当たり前のように現実とは違う世界で現実を生きていた。
起きたら、その物語に突然シャッターが下ろされたようで、不吉な中断に思えた。
多分気を失っていたんだと思う。
こんなことが続くのは本当に勘弁して欲しい。
生きたかった人たちの分まで、と簡単に言うことは不可能だけど、わたしはわたしなりに存命を試みているので、死にたいと願っても見逃して欲しい。
死者に許してもらえるように
神様に許してもらえるように
お腹はあまり空いてなかったけど、夜ご飯をしっかり食べた。
食べてから食器を洗って、洗濯物を取り込んで、クローゼットの中を簡単に片付けて、明日のことを考えていた。
月末の研究会のことも。
先輩から来たメールのことも。
そして、いつもと同じ薬を飲んだ。
こうして存命を試みている、今日も。
モデル、足