5月10日
月曜日。
いまいち気分がのらん。
昨日見る予定だった授業の録画動画をあける。
トルコ時間で夜の9時から始まるやつだったので到底むりなやつ。
一度だけ生出演できたが、それ以降は全て録画を見て学習した。(その方が効率よかった)
トルコ人もなかなかオスマン語読めないの、見てて気分が良くなる。
まあわたしにとっても十分難しいのだが。
そうしてる間に、先生から電話。
朗報。
共著での執筆依頼。ウヒョヒョ〜
舞い込みますな。
いいんですか!?と聞いたら、こっちが頼んでるんだけど笑って感じだった。
先生わたしに優しすぎる気がする。
しかし、ほんとに相当な人物たちのラインナップなのでかなりピエーッである。
出版されたらすごい革命的な一冊になる予感。
なお、再来年ごろ発刊の予定とのこと。
どぎまぎ!
そしてわたしは何もかも終わらせてから京都へむかふ。
授業の準備やらお金の何やら、買い物やらがあるのだ。
行くべし行くべし。
もうだいぶ慣れたな、移動。
移動中に女性スーフィーの手によって書かれた文章を読む。
「師は彼自身の生涯で受けたいくつかの描線は、彼の友たちの声と懇願によって、書かれることになったのだ。書き手自身の欲求によって、ではない。
かの高みにあられるメヴラーナが仰せのとおり、太陽を地に降ろしたとしても、それは分かる者だけには分かるだろうし、信じる者だけが信じるのである。」
分かる人も分からない人ももう決まってる。
誰かのために書くんじゃない。
希望じゃない。
そういう文章だと受け取って、静かな気持ちになった。