万年輪廻

記録、日記

10月15日

 

目覚めてすぐが一番しんどいと感じる。

いつまで続くのか。

 

起きて3時間くらい経った頃に友達にLINEを送ると電話しようと誘ってくれた。

とてもありがたかった。

引っ越しも手伝うと言ってくれた。

近いうちに入籍するという報告もあった。

よかったね、よかったね。

わたしもね、本当は人生良くなってるの。

そのはず、たぶん。

なのにこんなにも悲しい。

不思議だと思う。

 

友達と、わたしたちの試練は真逆だねと話した。

わたしにとっては一人になること、

彼女にとっては他の人との関係をつくること。

 

それから、信用とか信頼の問題について。

この世界には、社会とか他の人間を自然と信頼してしまえる人たちがいる。

そういう人たちと自分たちの違い。

そういう問題においてネガティブな考えを持つ人に批判的になってしまいがちな巷の反応は、やっぱりおかしいということ。

なんでも肯定する「いい人」を普及させようとする空気が気持ち悪いということ。

そんなの多様性じゃないってこと。

 

あと、依存について。

自立してないと人に頼ることはできないということ。

わたしは誰かの「彼氏」的な存在になりやすくて、この歳になって人から頼られることがわりと増えた。

「いつか刺されると思う」とわたしが言うと、彼女も「わかる」と言った。

刺されたくない。

距離の取り方はむずかしいという話。

 

友達と電話したあと、トルコの友達ともコンタクトを取り、引っ越す旨を伝えた。

わたしの苦しさを取り除いてくれるような愛と思いやりに満ちた言葉がうれしくて、心の芯まで染みてきた。

 

Sen de rahatına bakıp evlenebilirdin. Ama zor olanı seçtin, onu da kendini da daha çok üzmemek icin...

 

客観的な事実や目に見える形よりも、わたしたちが何を感じたかが大切。

すごく優しかった。

 

トルコの友達に励ましてもらったあとは、たまたまやってた現地のインターネット講座の中継を見た。

人生には必ず思うようにいかない試練が訪れるということ。

講座の内容はいつもちゃんと記憶できないけど、聴くと何となく心が楽になる。

そのあと少しだけ先生の本を開いて、読む。

とても示唆的な部分に接する。

わたしが研究を通して還元したい先は学問じゃない。

社会じゃない。

もっと確実な誰か。何か。あるいは真理。

改めて感じ入る。

背中を押されている感覚。

 

夜は、別の友人と食事。

新しい彼氏ができた友人による猥談をずっと聞かせてもらうという会になった。

そういう会になることをちょっと期待していた節もある。

悲しみが吹き飛ぶようだった。

色々なことを教授され、死ぬほど笑った。

肉体が存在してること前提の話はどことなく元気が出る。

自粛期間中、真面目に引きこもっていて、精神と肉体が分離してきたと感じていたところだった。

精神だけで恋愛はできないのよと教えられてる感じがした。

でも猥談は猥談だけに生々しくて、ちょっとだけ恥ずかしくなった。

わたしも好きな人に会いたい。

ほんとに今はそれだけだー。

 

 

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